2005/12/20
■滞在時の方針と得られた成果
□方針
本滞在をするにあたり、以下を心がけました。
全時間の90%を研究に費やして研究室に篭り、人との関係を断絶し、
研究のみに集中することもできたのですが、敢えてこの方針は行いませ
んでした。
本派遣プログラムの趣旨に則り、研究時間は全時間の40%程度に抑え、
UCBの研究・教育の調査を30%行い、残りの10%を人脈をつくるため
の時間に使いました。また、10%程度の時間を、米国文化を理解するた
めの時間に使いました。
■成果
□研究について
研究に関しては、論文が1本書ける程度の成果を期待し活動しました。
結果として、1本の論文を書くことができたので、予定通りといえます。
内容は固有値計算の高速化に関連する並列実装方式の開発です。これは、
前から有効性が気になっていた方式(アルゴリズム)でした。したがって、
直感が正しいことが実証できました。
なお今後、次期リリースのLAPACK4.0に、私のコードが入る可能性があり
ます。また、この論文の内容の拡張論文が、数本出る可能性があります。
□研究・教育の調査について
研究・教育の調査について、LAPACKプロジェクト、およびBeBOPプロジェクト
の研究ミーティングに参加し、UCBでの現状を調査することができました。
LAPACKプロジェクトにおいては、LAPACK4.0の開発方針と、次期リリース
LAPACK4.0における目玉のアルゴリズムMRRRについて、アルゴリズムの理解と
性能に関する経験をつむことができました。日本人としてMRRRの情報を入手
している人は現在殆どいないため、帰国後この情報は貴重になると思います。
BeBOPプロジェクトにおいては、疎行列積に関する自動チューニング機能付き
ライブラリのOSKIの開発状況と、疎行列積を用いたベンチマークソフトウエア
の開発について情報を入手できました。
また、我々が電通大で開発した、FIBER方式やABCLibScriptの情報を、BeBOP
グループに提供できました。
□人脈について
人脈については、James Demmel教授とKatherine Yelick教授はもとより、
固有値解法の権威 Beresford Neill Parlett教授、SuperLU開発者のLawrence
Berkeley National Laboratory (LBNL) のXiaoye Li、LAPACKのMRRRルーチン
開発者のLBNLのOsni Marques と Christof Voemel、多倍長計算のUCB日本人
大学院生 Yozo Hida、二分法にIEEE754の機能を使って高速化する研究をして
いるUCB大学院生 Randy Jasonらと、知り合うことができました。
BeBOPプロジェクトに関連している大学院生 Mark Hoemmen、Hormozd Gahvari、
Rajesh Nishtala, Ankit Jainらには、研究室における身の回りのことを含め、
世話になりました。
■うれしい出来事
LAPACKプロジェクトにおいて、11月中旬のLAPACKミーティングで、うれしい
出来事がありました。
このミーティングでは、大学院生のJasonが土曜日に行われるベイエリアの数値
計算研究者の集まりでSca/LAPACKの現状と今後の話をするので、その発表内容の
打ち合わせを行っていました。
OHPの内容を校正していたのですが、各アルゴリズムに関連している人の名前を
チェックしている時に、Prof.Demmelが「大事な人の名前を忘れている」と
コメントをいれました。誰だろうかと思っていたら、「MRRRのところにTakahiro
を入れてくれ。」と言ってくれました。
そこで、私の名前と電通大の略称 (UEC/JAPAN)が書かれることになりました。
LAPACKの関連者を見てみると、日本の大学人の名前は見当たりませんでした。
電通大にとって、この分野においていい宣伝になったと思います。
なぜ名前を挙げてくれたかという理由について、MRRRの性能に関する問題点を
明らかにしたことと、二分法を並列計算機上で高速化するアルゴリズムを開発
した成果が認められたこと、が原因かもしれません。
いずれにせよ、約8ヶ月余り休みなくミーティングに参加した努力が報われました。
■UCBの研究教育について
□分業の奥にあるもの
●背景
前回、LAPACKプロジェクトでは、数値アルゴリズムを研究するグループと、
数値ライブラリを開発するグループが別で、完全に分業制になっていると報告
しました。この分業制は、大学院生の研究においても、そうなっています。
たとえば、BeBOPミーティングでは、ネットワークに詳しい学生と、数値計算
アルゴリズムに詳しい学生がいるのですが、高速な並列数値計算に関する研究
をこの2人が分業して研究を進めています。
つまり、1人は数値アルゴリズムの観点から数値安定性を検証し、1人は高速な
通信方式の実装の研究をしています。
これはかなり効率がよく、お互いの長所を生かしきることができる方法です。
●協調作業(コラボレーション)
分業をするためには、プロジェクトに跨る協調作業(コラボレーション)が必要
になります。このコラボレーションに関して、どうやら米国では、日本よりも気軽に、
かつ頻繁に、行われている気がしてなりません。
これは、文化の違いからくると思います。つまり日本では、なるべく分業せずに、
一つのプロジェクト内で全てをやりたいという意思が強く、また他人を余り信用しない、
という文化があるのではないでしょうか。
このコラボレーションについて、驚くべき実列を一つ挙げたいと思います。
LAPACKプロジェクトに敵対する教授が、テキサスの有力大学にいます。この教授は
相当失礼な性格で、彼の論文上でDemmel教授の書いたLAPACKの方針を名指しで厳しく
批判するなど、UCB側からすると目に余る行為を行っています。
ところが、近く開催される学会のミニ・シンポジウムにおいて、この問題教授が
オーガナイズするセッションに、Demmel教授が招待されていました。逆にUCBのLAPACK
プロジェクトでも、この問題教授のプロジェクトの成果(ソフトウエア方式)を引用
しています。
このようなことは、日本では(人によるでしょうが)たぶん、ありえません。
米国では、おそらく議論は議論として行い、協調作業(コラボレーション)は別、
と割りきる文化があるのかもしれません。そのほうが研究は進展するはずです。
違う見方をすると、研究成果を問う強力な評価システムが、各大学で働いているの
かも知れません。
日本の文化は、性格が合わないと、その人の研究方針(哲学)まで否定する傾向が
ある気がしてなりません。その結果、コラボレーションはなされません。これでは、
研究成果の観点で、米国に日本が勝つことは、いつになっても無理な気がします。
●おわりに
協調作業がどれだけ研究を進展させるかについて、定量的な評価結果あるわけでは
ないのですが、少なくとも複数の分野や組織を跨るコラボレーションにより、新しい
研究展開や技術のブレークスルーにつながることは否定できません。
日本でも、もっと組織の枠を超えて、研究コラボレーションをすべきと考えます。
そのためには、研究成果に対する厳しい評価システムを、大学の枠を超えて定める
必要があるようにも思います。
□TAのお仕事(その2)
隣の席の大学院生が、ソフトウエア工学のTAをやっているという話題を以前しました。
12月中旬は、授業のFinalsがあります。そこで、彼が(おそらく)ソフトウエア工学
実習の成績をつける作業をしていました。
日本では多くの場合、成績は教員がつけるので、学生のTAがその補助をすることは無い
と思います。例外は、テストの採点ぐらいでしょうか。ところがUCBでは、TAが成績をつけ
る場合があるようです。最終的には担当教員が責任をもって成績を決めるはずですが、その
ための補助として成績をつけていることに変わりはありません。
それでは、どのように彼らが成績をつけていたかというと、以下のようでした。
まず、TAの大学院生の補助をする学生が1名いるようです。その学生と、どのように
成績をつけるのか、その基準を議論して決めているようです。この基準の議論について、
レポートのどの項目をどのように評価するのか、という詳細を議論していました。これは、
かなり時間をかけて決めているようでした。
次に、決められた基準を基に採点をしたようです。
その後、その採点がいいかどうか個人名を挙げて、講義プロジェクトにおけるその人の
貢献度を、TA学生の補助学生に聞きながら評価しているようです。
この補助学生は、各プロジェクトの構成員の仕事ぶりの詳細に詳しいことから、対象となる
学生と年齢的に近い学生をスパイのように派遣して、内部を調査させているようです。
いずれにせよ、つけられた成績がその学生にとって妥当なものとなるように、時間をかけて
評価しているように思えました。
この学生の方式が一般的かどうかは不明です。しかし、成績をつける作業もTAの重要な仕事
の1つといえると思います。このことで、教員になる場合の経験を踏むことができるよい制度
だと思いました。
□米国人の議論スタイル
いろいろミーティングやセミナーに出てみると、米国ではわかりやすい議論スタイルを好む
ということがわかってきました。
前回指摘したように、発表者も(人によりますが)、簡単なことを簡単にいうように心がけ
ます。
質問する場合においても、議論が発散しそうになると、すぐに「私の質問は、・・・です」
という具合にまとめます。
また例を挙げて、「こういう場合、・・・となるのですが、この場合どうするか?」など
例示して質問します。
それでも困ると、「・・・でよいか」などのように、Yes/No Questionに切り替えます。
このようにわかりやすい議論スタイルを保つことで、複雑な問題の解決を図るというのが
肝なのでしょう。
■米国の生活について
□米国での知り合いについて
●米国人の知り合い
仕事で知り合った人のほかに、妻が子供のプリ・スクールや、本屋などで知り逢った
米国人の自宅でのディナーや、子供の誕生日に招待されました。
まず子供の誕生日会ですが、公園の一角のバーベキュー・スペースを貸切り行うことが
多いようです。公園の机をデコレーションして、木などに風船を飾り付けます。
このとき行われる面白い行事は、お菓子が詰まった箱(動物や木や家とかの形をしている)
を木にぶら下げ、子供たちが交代で木の棒でそれを叩きます。誰かが壊したら中に入っている
お菓子がばら撒かれるので、早いもの勝ちでそれを取ります。日本の餅撒きみたいで、面白い
です。
夕食に招待された例では、我々が住んでいる市の隣の市にある、平地の一軒家に招待されま
した。米国の一軒家は日本のそれに比べて各部屋広いです。キッチンも広いです。
この一家は、ベジタリアンらしく、野菜や魚中心の料理を振舞ってくれました。魚の味付け
には醤油をつかっており、風味は日本の魚の煮物で、日本人の口にとても合う味でした。
面白いのは、どの家でも招待した側の夫がよく動くことです。料理の分配から、鳥や魚の切り
分けまで、担当はホスト側の夫が行います。
●日本人の知り合い
我々の住んでいるアパートには、日本から来たUCBやLBNLの訪問学者が多数住んでいます。
また、バークレー市にも日本人の訪問学者が多数住んでいるので、数人と知り合いました。
多くは大学の教員で、大学の資金制度を用いて派遣されてきている人です。面白いことに
知り合いには、夫は大学の教員、妻は医者という組み合わせが2件もありました。医者は需要
があるので、1年程度休職しても復職できるからだそうです。
□英語について(その2)
前回、英語の上達が少ないということを書きました。ほぼ8ヶ月ぐらい済んで振り返ると、
大きなブレークスルーは半年ぐらい住んだときに起こったと思います。
具体的には、来て数ヶ月ごろでは、電話で普通にしゃべられると何を言っているか殆ど
わからなかったのですが、半年くらい経つとわかるようになります。
また、当初は電話でしゃべっても通じないことが多いのですが、半年ぐらいたつと、通じる
ようになります。
妻も来た当初は、店でサンドイッチを買うために「サンドイッチ」といっても通じなくて、
相当ショックを受けていました。しかし半年ぐらいすると、発音を工夫し、大きな声で何度も
しゃべるというテクニックを覚え、さらに状況により効果的な単語を覚えたせいか、普通の
生活で使う英語では殆ど困らなくなっているようです。
子供も、来た当初は英語は1から10までのカウントしかできなかったのですが、半年も経つ
と「Come here」とか「Here we go」とか、遊ぶときに使う言葉や挨拶などは、普通に出てくる
ようになりました。
つまり、半年も住めば、誰でも生活には困らない程度の英語力がつく、というわけです。特に、
聞き取り能力の改善が大きいと思います。
それに加えて、しゃべる英語の表現力は、かなり上達したという印象は受けません。つまり英語の
表現力を向上させるためには、特別な訓練が必要ということでしょう。
□感謝祭
米国では、感謝祭の週が11月24日の週にあります。これは、日本で言うと正月のような休日
だそうです。感謝祭はインディアンに感謝する日なので、宗教を問わず喜べる休日ということだそ
うです。
(クリスチャンならば、クリスマスが最も盛大な祭日となります)
感謝祭には、家族が集まり、古典的な食事でこれを祝います。具体的には、ターキーの丸焼きや、
パンプキンパイなどです。
我々は、日本人の訪問科学者(九州の私立大学の言語学専攻の方)のお宅に招待され、彼らが初
めて焼いたというターキーの丸焼きを頂きました。大きさはいろいろあるのですが、かなり大きい
部類のものでした。
ターキーには、スタッフィングといって、内臓を繰り縫いたところに詰め物をして焼きます。
この詰め物は、パンや米、レバーなどのターキーの内臓、ハーブなどを混ぜてつくります。出来
上がったターキーには、出てきた肉汁を煮詰めたグレイビーソースか、ラズベリーを煮詰めて作る
ラズベリーソースをかけていただきます。
ターキーは、癖がある味を想像しますが、普通の鶏肉と味は変わりません。つまり、癖は全くあり
ません。グレイビーソースはうまみが詰まった濃厚な味ですが、ラズベリーソースは酸味が利いた
甘みのある味なので、違いがとても面白いです。
日本では、ターキーをあまり売っていない上に、丸焼きするオーブンもないので、良い経験となり
ました。
□クリスマス・ツリー
感謝祭が終わると、米国ではクリスマスの準備が始まります。具体的には、電飾を家に飾ったり、
デパートではクリスマス用の品々を売り始めます。
我々が住んでいるアパートの前の敷地に、クリスマスツリーの生木を打っている場所(臨時販売所
みたいなところ)があります。家の窓からいつも見ていると、見に行きたくなり、見に行くと欲しく
なってしまい、結局購入してしまいました。
生木を購入すると、飾りも必要なので、リボンや星や○型の吊り飾り(正式名称を知らない)と
電飾を、近くのスーパーで購入して生木に飾り付けました。クリスマスまでの3週間余り部屋に
飾っておくことになりました。子供は、「クリスマス、クリスマス」といって喜んでいたので、
とりあえずよかったです。
クリスマスツリーも日本の門松のような縁起物ですが、日本ではいろいろな理由から購入できないので、
良い経験となりました。
注釈:
上記のクリスマスツリー飾りの総称は「オーナメント」です。
■おわりに
約10ヶ月の米国滞在の感想として、来てよかったと迷わずに言えると思います。これはひとえに、
最先端の研究に触れる機会が与えられたからだけではありません。
専門分野を同じくする今後有望な若手と知り合えたこと、米国のトップユニバーシティーの1つに
おいて研究・教育に関する文化の一端を垣間見れたことによります。
もっと言うと、米国文化の一部を実感し、それを直感的に理解することができました。また、最先端の
研究を発信する人々がもつ研究哲学について、その一部を理解できるようになった気がします。
本機会を頂いた大学・研究室の諸氏に心より感謝いたします。